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臥薪嘗胆

米国・カナダにて、5グループ14社を対象とした企業統合、組織再編およびPMIを主導し、完遂した。Chair, Post-Merger Steering Committee(兼 取締役Vice President)として、異国の地で、一手にその全ての責任を負い、推進できた経験は自分の人生において、かけがえのないものであり、大きな自信にもなったし、全てが自分の血肉となった自負がある👏
M&Aをし「そのまま」の状態にされていた企業群A-E社を本来のあるべき形にするという趣旨でスタートした取り組みで、「AとCで顧客が被っているのは(争うのではなく)協力したほうがいいよね」「同じエリアに店舗があるのにAとDで別々にオペレーションするのは無駄だよね」「毎月各社ごとに事業レビューするの効率悪い/時間足りないよね」「コーポレート機能は集約させるべきだよね」みたいな感じである。
アジェンダは、オペレーション/システム/プロセス統合、予実管理・予算策定、組織設計、人員配置、人員整理、制度設計、月次決算、各種コーポレートアクションの計画と実行、繰越欠損金(NOL)の活用を含む統合・組織再編ストラクチャーの検討、カスタマーサポート体制再構築(コールセンター統合など)、SNS/HPの統合・刷新など、かなり多岐に渡り、かつ、本当にハレーション&複雑性の塊のようなプロジェクトだった。
 
推進体制としては、各WG: ワーキンググループ(会計、HR、オペレーション、マーケティングなど)そして、ステコミという2つの組織体を設け、WGは合計12個ほど、ステコミは企業群のうち売上高の大きな2社の経営トップから2名と僕、GENDA米国事業責任者の合計4名という構成にした。各WGにはHead(場合によってはSub-Headを設け)をアサインし、目的やスケジュールをセットし、日々共にアジェンダを消化するという進め方をした。従業員は1,000名ほどいたが、極めてセンシティブなプロジェクトであるが故、このWGとステコミに関わっていたのは50名くらいに絞っていた。自分がまず着手したのは、経営体制の再構築およびWG組成のための従業員インタビュー(360度評価のような形)であり、これにより、Head/Sub-Headのアサイン案を練っていった。このような設計も含め、全てゼロベースで構築し、かつ、いち経営陣として、上程されたものを意思決定する、という指示型の動き方ではなく、日々発生する大小含めた問題や論争のケアをし、自らアジェンダを設計し、泥臭く手を動かすところも含めやったことが、物事を前に進める、という意味で、とても大きなことだった。
 
書きたいことも学んだこともたくさんあるが、「もっとこうすればよかった」みたいな感想?というか振り返りは結果論としてはあるものの、単なる意思決定屋さんではなく、現場に深く潜っていたからこそ、誰よりも解像度が高く、これまで長くやってきた人たちと対等に、その時々で最も正解に近しいものを選択できたと思う。逆に解像度がなければ、適切な軌道修正もできず、声が大きかったりヒステリックな人の意見に流されがちになるという側面も見てきた。
 
そもそもの話で言えば、M&A実行時に、1社ずつしっかりPMIを実施していれば、こんな状況にはなっていないわけだが(過去のことは言っても仕方がない)、いつか誰かがやらないといけないことであり、そういう過酷で、おいしいところがない、誰もやりたがらない仕事には大きな価値があると自分は思う。
 
また、このような局面において、全員が全員、納得できるような意思決定など存在しないし、日々「XXには異動したくない」「XXの下では働きたくない」「XX社のオペレーションはいけてない」とか、いち個人の感想のようなコメントに惑わされることなく、難しい(ハレーションのある)判断/意思決定こそ経営がすべき役割と認識し、嫌われることを恐れず、主観やスタンスを持って、信じる未来に向かって突き進む必要がある。覚悟と意思が大切である。
 

これから

まず、結論から書くと、この大きな役割を終え、次はプライム市場上場企業にて、引き続き海外での事業経営に従事する。エリアは主にUAEを中心としたMENA(Middle East and North Africa)、マレーシアやインドネシアなどのASEANになりそう。拠点はまだ決めていないが、数か月日本で、その後、海外に渡る予定だ。
以下が、主な意思決定材料である。
1、プロジェクトベース/支援のような形ではなく、より長く事業・経営にコミットしたい。
2、家族にも相当な負担をかけてしまい、家族の体調も考慮し、次のステージに進むことに。
 
GENDAは、純粋持株会社(以下、本社と言う)にM&Aした事業体(ゲームセンターやカラオケの会社)がぶら下がるような構造であり、特徴としては、①アイデンティティとして自社の事業というものがない(M&Aした会社の事業)、②また、本社所属としては、それらのM&Aした会社を「支援」するような体裁を取っている(故に、さまざまな事業を転々とするような設計にもなっている)。
働いていて思ったことは、M&Aが事業の会社(金融に寄った会社)であるということで、それはそれでかなり稀有な戦い方ではあるものの、M&Aが事業の会社なのに、M&AとPMI(事業経営)の断絶も甚だしく(その弊害も大きく)、事業経営サイドが本社のリリースでM&Aしたことを知ったり、なぜこの会社を買ったのかみたいな問いも現場で度々出てきていた(責任の所在が巡っているイメージ)。本来であれば、どう事業を改善できるか、どういうシナジーがあるか(基本的にシナジーというものはコストサイド以外大きくないと自分は思う)等、事業経営サイドからM&A実行の是非や計画の責任を負うべきものであり、そういうところも含め組織のアイデンティティだなと感じた。組織のアイデンティティというものは色々なところに影響を及ぼしているし、組織の作り方含め、投資・管理しているだけでは事業は伸びないし、改善できない。スタートはもっと前である。
そして、スタートアップではなく成熟産業であるゲームセンター事業において、本社からの資金支援に依存し続けるのではなく、自律的に事業を運営できる体制を構築することが経営者の責務である。そうしないと胸を張れない。それだけが、この険しいプロジェクトを進めるモチベーションであり、EBITDAの改善のみを見据え、Xミリオン単位の改善の目処を立たせた。当然売上も大事だが、上に記載したような自立していない状況ではなおさら、売上に偏った経営(利益を伴わない施策)はナンセンスだし、少なくともその歪んだコスト構造を改善することから目を背けず、きつい意思決定をする必要があった。ROIを度外視した施策が度々優先され(本社とのパワーバランスも影響していると思う)、それやっても貢献しないものばかりだなというか、「何を大切にするか」の価値観みたいなもののズレも感じた。
総じて、もっと真摯に、事業の価値を追求するスタンスの経営をやりたいし、事業・経営そのものに自ら責任を負いたいと思った。
 
また、米国で過去イチ、あり得ないくらい働きすぎて、自分のせいで家族も体調を崩してしまったのもあり、エンジンをふかし過ぎたという反省もある。余談にも書いたが、プレッシャーも相当あり、自分の立てていた戦略もハードワークだったので、それで結果的に家族に迷惑をかけた。それもあり、仕事を終えて、家族との時間を深く過ごすことを決め、アフリカに行ったり、フランスに行ったり、子どもの新しい体験や妻も含め、家族でゆっくり深く時間を過ごすことに時間を費やした。こういう思考回路で、次は事業経営を中心に据え、事業の戦略と実行にも、M&Aそのものにも、その組織設計にも責任を持つ。今回の最高の経験をもとに、また気を引き締めて頑張っていきたい。
ケニアのマサイマラで娘とゾウを見た🐘
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余談

初めは、海外で仕事をするハードルや不安、プレッシャーを感じていたところもあった。不安で眠れないとかはさすがになかったが、赴任が決まってから「(現地で)どう戦うか」「どういう戦略でいくか」を考えつつ、もう10年近く使っていなかったこともあり、英語のリハビリをすぐに開始した。それは杞憂であった。踏み出してみれば分かることがある。
もちろん日々の努力というものに加えて、決めていたことが1つあり、シンプルにハードワークすることだった。誰よりも入念に準備をする、誰よりも早く多くのアウトプットを出す。それはかなり機能し、主導権をとってあらゆることを推進でき、かつ、あらゆるアジェンダが自分に回ってくるようになった。業界経験もない(あらゆるジャンルでこれが必要だと自分は思っていないが、長く業界にいる人はそれに価値を感じている人もいる)、かつ、年齢として比較的若い自分が戦う方法はこれだと思っていた。主語を大きく語るつもりはないが、総じて、日本人はとても勤勉だと改めて感じたし、それが武器になると強く思った。そして、ナショナリティに関係なく、勤勉で、責任感の強い人たちもいる(その人次第)ということを実感できた。
 

住んだ場所

拠点は、カナダ(トロント)から始まり、ダラス、コロラドと、転々としないといけなかったのも中々大変だった。子どものための家のセットアップや国を跨ぐ引越し、州をまたぐ引越し、自家用車の輸送の手配をしたり、ダラスの戸建はかなり古く、毎晩仕事をしていると窓から虫が沸くような感じだった😢。新しめのマンションに住むのが絶対によい。笑