外様の雇われ社長が、全方位に詰んだ話(2025/5/4 9:00時点の抜粋)

2025年4月まであるスタートアップの社長を務めていました。 最初は「社員も会社も、正しく成長する戦略を実行すれば、自然と成功につながる」と信じ込んでいました。
社長在任期間4ヶ月という短期間でなぜ辞任に至ったのか。何を学び、今どう考えているのか。守秘義務に抵触しない範囲で、自分の言葉で残しておこうと思います。

なぜ引き受けたのか

前職が会社を畳むことが決まり、今後のキャリアを迷っている中でした。自分自身、ナンバーツー気質と認識していましたが、 それでも「もう一段、責任のある立場で挑戦してみたい」という気持ちが湧いていた時期でもありました。
そんな中、ヘッドハンター経由で「ある会社の次期代表を探している」とオファーを受けました。聞いたことのない会社を任せられる怖さもあり、事前にPLやBSも確認させてもらっていました。詳細は伏せますが、非常に好調な実績の会社である一方で、ビジネス上のチャレンジが複数存在し改革が必要な状態でした。
また会社の仕組みもこれから整備と聞いていて、「ここから伸ばしていくのは自分の腕次第」と思えたのが魅力でした。

中に入って見えたもの

11月に取締役として入社、1月に正式に社長に就任、前代表の退任もあわせて社内に共有されました。 そのタイミングで、大きな方向転換を目指す「改革戦略」も発表しました。 これは株主とも密に連携をとった上で進めたものでした。
これまでは「スピード重視・実行優先」のアプローチで成長してきた会社だったため、日々の行動の積み上げがまだ活かせる土台がなく、これまでの成長スタイルと、自分の戦略とのギャップが徐々に明確になってきました。
社員たちと1on1を何度も重ね、信頼している、もっといい会社になると伝え、今まで以上の責務を与え、給与増に取り組む約束をし、取り組みを進めました。
けれども言葉にできない違和感が徐々に大きくなってきたことに気づきました。
いま考えると、戦略を正しく機能させるためには見えない社内政治を司る能力が圧倒的に足りなかったのです。

崩れていった日々

それからは自分の目で確かめた現場の課題を潰していこうとしました。 でも、動くたびに“反発”が生まれました。
社員が個別の事情を優先して独断で動くことが良しとされる空気がありました。気づけば、社員の半分以上が「変化=悪」と捉えている状態でした。
特に、変化に対する不安や、意見の分岐が現場に広がる中で、私自身の伝え方や巻き込み方にも課題があったと感じます。
一時的にリモートワークを導入して直接向き合うことから逃げるような判断もしました。
その間に組織内のパワーバランスも変化していき、私の立場は徐々に不安定になっていきました。
ある種、次々と展開が変わるドラマのような日々でした。あまりに目まぐるしく、最初の数話で物語が完結してしまうような感覚でした。
そのうち 改革の手応えがないどころか、大きく体調を崩していきました。
そんな中でも、「この状況を一緒に変えたい」と名乗り出てくれる社員もわずかですが存在していました。 その存在が、当時の自分にとっては唯一の希望でした。

最後の判断と、その後

着任初期、信頼できる友人たちにも声をかけて、面接に臨んでもらっていました。結果的に入社に至った方はいなかったものの、今思えば「もし巻き込んでしまっていたら」と思うと申し訳ない気持ちがあります。
また、前職でのつながりでさまざまな面で助けてくれた方々にも、十分に恩を返せないまま終わってしまったことに対して、同じように申し訳なさを感じています。
心身ともに限界を感じ、適応障害と診断されました。 「何かを間違えた」とはっきり思いました。 構造の前提を最初から読み違えていたのだと思います。
辞任を決めてから、体調はみるみる回復し現在は全快し、今はもう新しい道に再スタートを切っています。

もしもう一度やり直せるとしたら

今時点では正直何度やっても同じ結果になるように感じています。 だけど、これはやるかもしれない。
・半年は何も変えず、現場でとことん学ぶ
・現場をしきる信頼できる右腕をできるだけ早く入社させる
・株主との意向の違いがあったとしても、問題へは即座に手を打つ
あのときは、「変えること」が使命だと思っていました。 でも、今なら「何を変えないか」を見極めることから始める方が、成功に近づける気がしています。

ここには書ききれない出来事も多くありましたが、外様の雇われ社長が現場に入ったとき、何が起きるのか——その一例として、どこかで役立つことがあれば嬉しいです。