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やらない理由が見つからなかった──30歳 米国赴任の意思決定

今、30歳。GENDAには2024年7月に入社し、ちょうど1年が経とうとしている。そして、2025年6月から、アメリカ・テキサス州ダラスに赴任することになった。米国では、まずはアミューズメント施設の経営に従事する。
 
ある日、「米国事業にジョインしないか(米国に赴任できないか)」という話が舞い込んできた。GENDAで海外事業に関わることなどまったく想像もしていなかったし、突然のことだったので、正直、動揺した。けれど、その場で「受けます」と即答した。やらない理由が見つからなかった。
 
誰にでも巡ってくるチャンスじゃない。そんな話をいただけること自体が光栄だったし、30代のどこかで海外に挑戦したいという思いもあった。それが、これからの自分にとって、きっと大きな意味を持つと思っていた。まさか、こんなに早くその時が来るとは思っていなかったけれど。
 

当時の心境

「ある日」は、2024年10月10日のことだった。打診を受けた直後、すぐに妻にLINEを送った。返ってきたのは「吐きそう」という一言。無理もないと思った。妻はフルタイムで働いていて(当時は育児休業中)、娘は2人いて、ひとりは2歳@保育園、もうひとりは生まれてまだ2か月足らず。家と車のローン返済もある。どう考えても、“自分にとって”どうこうだけでは済まされない話だった。これは「僕だけの決断」ではなく、「家族全員の決断」だった。
ただ、僕の意思は固かった(シンプルに頑固とも言う)。単身で行くという選択肢は、最初から1mmもなかった。これは、長い人生の中でも譲れない決断だった。まずは「すまん」と伝え、そこから少しずつ、家族全員で気持ちをつくっていこうと思った。
2024/10/10のライン。ジャブくれって格オタ夫の妻って感じ、するよな。
2024/10/10のライン。ジャブくれって格オタ夫の妻って感じ、するよな。
 
そして、当時の僕は、GENDAグループの1社であるシン・コーポレーション(カラオケBanBanを運営、以下シン)で、事業推進室の室長を担っていた。入社当初、シンの方々とはほとんど面識がなく、当然ながら僕のことを知る人もいなかった。新たにポジションを設けるのも簡単ではなく、経営陣や現場メンバーとの信頼構築は、まさにゼロからのスタートだった。少しずつ関係を築き、期待値を超える行動を重ね、「事業推進室」を立ち上げることができた。気づけば、シンの仲間たちとも良い関係が築けていた。何よりも、はじめのきっかけを提供してくれたのは社長だった。だからこそ、離れることには正直な迷いもあった。最後は社長に手紙を書き、対面でも感謝の気持ちを伝えた。
愛ですね。感謝しかない。
愛ですね。感謝しかない。
 

今の心境

「仕事の本質は、変わらない」 という記事でも触れたけれど、仕事って結局どれも「課題解決」だと思う。ある程度キャリアを積んできて、どんな職種もどんな仕事も本質的には同じように感じるようになってきた。親友たち(前職で一緒だった彼らも、ちょうど同じ時期に転職した)とも、「結局ぜんぶ一緒よな〜」と話していたりする。そんな中で、自分にとって“違い”を生む最後のエッセンスが、「異国でやること」だった。人に関わることが仕事でいちばん難しい。そこに文化や言語の違いが加わるなら、これ以上の挑戦はない。
期間は、ビザ申請上は5年(更新前提)。でも、この話をいただいたとき、「いつまでやるか」を考えるものではないと思ったし、そういう話をトップとした。役割が役割なだけにコミット前提でよろしくと言われ、僕も当然コミット前提でやります、と伝えた。自分のスタンスとして、そうありたいと思っている。その先には、それまでのいろいろなものの掛け合わせの挑戦が待っていると期待している。
 
これまでの武器が通用するかは分からない。でも、感じ取る力と実行力(これをあわせて「推進力」と自分は呼んでいる)だけは、どこへ行っても自分の軸であり、アイデンティティでもある。文化が違っても、人の本質はそんなに変わらないはずだ。そして、国内マーケットは、いずれ/すでに、人口減少の影響を受けて頭打ちがくる。どの業界でも、海外展開は避けて通れないテーマになっている。そんな中で、海外事業の初期フェーズの経営をリードできる今回の機会は、これ以上ないくらい大きな意味を持つ。
これらが、冒頭に書いた“やらない理由が見つからなかった”理由だ。
 
もちろん、不安はある。ないわけがない。自分がミスると、家族にだって影響が及ぶ。そんな責任も、当然ある。言葉の壁、文化の違い、価値観のズレ。現地で成果を出せる保証なんて、どこにもない。でも、自分のこれまでを振り返っても、「楽をしたい」とか「逃げたい」と思って働いたことは一度もなかったし、それぞれの場面で、自分を信じられるだけの成果を出してきた。
だからこそ、これまでと同じように、物事を前におし進める力を信じて、難しいこと、チャレンジングなことに向き合い続けたい。このためにというわけではないけれど、努力はしてきたつもりだ。
 
よくよく考えてみると、24,5歳で結婚し、27,8歳で子どもを授かり、結果として、むしろ“今のほうがチャレンジしやすい”状態だったのかもしれない。これから結婚や出産を考えるタイミングだったら、正直、こんな思い切った判断はできなかった気がする。今回の意思決定を受け入れてくれた妻には、本当に感謝している。
 

最後に

これまでの選択の積み重ねが、今につながっている。そして30代も、きっと同じだ。
たくさんの機会をくれた、これまでのボスや同僚たち、そして家族に感謝したい。米国赴任が決まり、温かく送り出してくれた友人たちにも感謝している。自分を信じて、信じられるくらいの努力を怠らず、自分の意思でこれからも歩んでいきたい。
ちなみに、格オタの僕は、堀口恭司が約9年ぶりにUFC(米国を拠点とする世界で最も権威のある総合格闘技団体)に復帰することにシンパシーを感じています🥊
 
P.S. アメリカはテキサス州ダラスに住みます。TXというところです。現地在住の方(ダラスに限らず)をご紹介いただける方がいれば、ぜひ🙋 アメリカではE-2ビザで働きます。落ち着いたら、妻も現地で仕事をする予定です。渡米までの準備が結構大変だったので、また別のブログを書きます。
by ChatGPT
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